本日2011年3月18日、娘が小学校を卒業しました。
10:00am、4クラスおよそ130名の卒業生たちはみな
とても晴れやかな、凛々しい顔。
体育館の中央に設けられた壇上で
校長先生からひとりひとりの名前が呼ばれ
卒業証書が手渡されていきました。感無量
その後の校長先生やPTAの方からのお言葉では
当然でしょう、今回の地震に関連したお話がありました。
なかでも、校長先生が卒業生たちに何度も
「有り難い」という言葉を使われていたのがたいへん印象的。
自分自身にも言いきかせるかのようにおっしゃっておられました。
この「有り難い」という言葉は
わたしたちがいつも使っている「ありがとう(有り難う)」と同じ語源。
読んで字のごとく「有り」が「難い」で
「あることがむずかしい→めったにない」という語源です。
この言葉はお釈迦さまのお説教から生まれたそうで
なにがめったにないかというと、お釈迦さまは
「人の命が存在していること自体である」と説かれています。
(ほかにもさまざまな解釈があるかもしれません。
これはわたしなりの解釈ですのでその旨ご了承を)
つまり、「有り難い」という言葉は
「今生きている私たちというのは
数え切れない偶然と無数の先祖の計らいで
生を受けて誕生し、今を生きているのだから
命の尊さに感謝して精一杯生きましょう」
といったメッセージだとわたしは受け取っているわけです。
いままで「当たり前、当然」と思っていたさまざまなことが
じつはすべて「有り難い」こと。
今日という日に家族、先生、地域の方々に見守られ
6年間の学び舎で立派に卒業式を祝える元気な子どもたちの有り難さ。
笑顔でお友だちと共に卒業を喜びあえる有り難さ。
カフェのお客さまや彼女を知っているたくさんの方からの
お祝いの言葉をいただける有り難さ。
そしてなにより、日々の暮らしを営める有り難さ。
たとえば家族といっしょにわが家であたたかいごはんが食べられることや
寒いときにはあたたかく、暑いときには涼しく暮らせること。
子どもを学校にやれることや教科書を1人1冊もらえること。
わたしたちが暮らしているすべてのことが
じつはぜ~んぶ有り難いことなのですね。
「あぁ、ありがたや ありがたや」
と空を見上げて言っていた
おばあちゃんの瞳はどこにつながっていたのかな。
そんなことも思い出した
TEMO家の一大イベントの日でした。
ご卒業おめでとうございます。
ほんとに、娘の笑顔は優しいですね^^
こちらも優しいココロになれます。
ありがたい。
本当に日々がありがたいです。
忘れられない卒業式になりましたね。
ありがとうございます!
小学校を卒業したかと思えばあっという間に今度は中学の入学式なのですよね。
わからないことばかりなのでまた、いろいろ教えてください。
よろしくお願いします。